2013年6月4日火曜日

年金小説 『お誕生日まで待って』    (二)

(二)
二人の結婚人生をひもとくと、最初の苦難が節子に訪れたのは、思い起こせば今から十六年前のことであった。
和郎と彼女が結婚してから十四年を経過したときであった。

結婚した当初は、共働きであったので生活は困らなかったが子供が生まれ和食料理店を退職したときから生活環境が大きく変わった。
勤務していたお店は、小規模で従業員も少なかったため、和郎への仕事の依存度が高く、朝早くから材料仕入れや料理の仕込みを行い、夜遅くまで働かなければならなかった。

おまけにお店が年中無休であったため、休みをほとんどとれず、家族とゆっくりと過ごす時間は皆無の状況が続いた。
勤務先からもらう給与はもともと低い額であったが、共働きのときには経済的に問題はなかった。しかし、一人で働くことになってから窮乏するようになった。

低い収入は家族が生活していくには大変厳しく、そのうえ、勤務先に社会保険制度がなかったため、国民健康保険料や国民年金保険料を直接納付しなければならないが、経済的に苦しいため保険料が滞りがちであった。
国民健康保険料の滞納状態が続いたときなどは、保険証を役所から取り上げられたりすることがあった。

そのため、熱を出すなどで病院にかかるときは、医療費を全額自己負担しなければならなかった。
自己負担した医療費は、後日市役所に申請することで返還されたが、医療費を立て替えることは大変な負担であった。
金銭的に余裕がないため、子供にほしいものを買ってあげられず、遊びにも連れて行くこともできず、生活に追われる日々が続いた。

 このような経済的な窮乏に堪えかねて節子は、
「お願いだから社会保険のあるところに勤められないの・・・」と言い寄ることがしばしばあった。
ただ、和郎は、独立して店をもつという夢があったため、薄給であったが辛抱して十四年間働いてきた。

しかし、収入が少ないため蓄えがほとんどできず、このままでいくと一生雇われの身に陥いるおそれがあった。
独立することなんて夢の中の夢のことであった。
その上、仕事の忙しさと経済的な余裕がないことから、家族旅行をしたり、どこかに遊びに連れていくこともできず、妻や子供たちにいつもさびしい思いをさせていた。

それでも、家族の誕生パーティだけは、結婚して以来ずっと欠かさず行なってきた。
誕生日のときは、ファミリーレストランで食事をし、プレゼント交換を行い、その後、カラオケ店で騒ぐのが恒例としていた。
それが家族にとっては唯一の楽しみであった。

和郎が三十九歳の誕生日を迎えた日のことであった。
食事とカラオケを楽しんで家族が桜並木を歩いて自宅に戻る途中にずっと前から考えていたことを和郎は打ち明けた。
「節子がいうようにこのまま働いても蓄えもほとんど出来ず、これから蓄えをしても年齢的にも独立することは無理なようだし、子供たちのためにも思い切って店を退職するよ」と真剣な顔で打ち明けた。満開に咲き誇った桜の下でその話を聞いた節子は不安そうに、「嬉しいけれど、退職して直ぐに働くところがあるかしら」と訴えかけた。

「うん、その点は心配しないで、退職を申し出る前に再就職先をしっかり見つけてからにするから……」と諭すように言った。
しかし、いざ就職活動をして見ると、四十歳近い男が働くようなところは半年間かけても見つけられなかった。

暮れが押し迫る寒い日、朝刊を見ていた彼女が、
「お父さん、外資系の生命保険会社が外務員を募集しているみたいよ。条件は良さそうだし応募してみたらどうかしら」と明るい表情で言った。
「そうだな。収入も働き次第でそこそこになるようだし、社会保険も完備しているし、この際応募して見ようかな」

和郎は、正月明けに外資系生命保険会社に応募した。
それから一週間ほどして電話がかかってきて、『採用させていただきます。ぜひとも当社でがんばってください』と通知された。
こうして和郎は、生命保険会社に転職したが、慣れない営業活動であるのにもかかわらず、家族を養っていかなければという一心で一生懸命がんばった。
その結果、初年度の勤務としては抜群の業務成績を収めることができた。

六月末に初めてボーナスが支給されたが予想外に大きな金額であった。
転職してからは休日もきっちり取ることができ、ボーナスも多く出たこともあり、結婚以来始めての家族旅行をした。
旅行から帰ってきた和郎が郵便受けを開けると、社会保険事務所に再交付を依頼していた国民年金保険料の納付書が届いていた。
滞納している保険料について、社会保険事務所から何度も督促状が届き、同封された説明文書には、『このまま保険料を納付しないと老齢年金が貰えなくなるおそれがあります』とあった。
 その文章を読んだ和郎は、社会保険事務所に納付書の再交付を依頼していたのだ。

その納付書を和子に手渡しながら、
「収入も何とか安定してきたし、就職前に滞納していた国民年金保険料の一年半分はこの際納付しておこう。納付すれば将来老齢年金も貰えそうだしね。節子、忙しいところ悪いけど、明日銀行に出向いて保険料を納めてきておくれ」
と言って、和郎は滞納分の現金を節子に託けた。
「分かったわ、明日銀行に出向いて納付してくるわ。まかしておいて」と明るくうなずいた。




(続く)

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